エターナル・クルセイダース
- Prologue 2 -
言葉にならない感覚が、龍也の胸の内にあった。
霧のようなものが周りを包んでいて、それでもどこか、隙間から見えるそれを求める。
不安と焦りが、龍也を襲おうとしていたのかもしれない。
牧場へは走って十分、仮にゆっくり歩いたとしても二十分もあれば到着する。車やバイ
クなどの交通手段を持たず、毎日家と牧場の間を徒歩で往復している龍也は体力にそれな
りの自信がある。ただ、今日ばかりは違う環境のせいか、いつもより疲れを感じていた。
「どこにいるんだ由佳里、貴志」
肩で息をしながら、龍也はいったんその足を止めた。辺りを見渡すと、うっそうと生い
茂った雑草と木々が道を挟んで広がっている。ここら辺は昼間でも木々の葉のせいで薄暗
い。今日のような日は、ますます暗さに拍車をかけてしまっている。
吐く息は、白かった。
龍也の顔を濡らした雨水が、伸ばしかけのひげを伝って地面に落ちた。
「あれは……」
ふと、龍也の目にあるものが飛び込んできた。龍也はあるものの前に近づき、しゃがみ
込むとそれをまじまじと見つめた。
それは、まだ新しい二組の足跡だった。
これほどの強い雨が降っていると、足跡なんてものはいとも簡単に消えてしまう。それ
でもまだ消えていない足跡があるということは、ついさっきこの道を誰かが通っていたと
いうことを示しているのだ。
龍也はその足跡を目で追いながら、ゆっくりと歩き始めた。
歩幅の感覚、足跡の大きさから言って由佳里と貴志のものだと言う確証が、龍也の中に
直感として存在していた。
一歩、また一歩と歩を進めるたび、言いえぬ不安が龍也の中で徐々にその大きさを増し
ていく。その反面、きっと大丈夫というどこか他人事のように思ってしまうのも事実だっ
た。
「龍也!」
「!」
突然、後ろから声をかけられたことに驚いた龍也は、反射的に振り向くと同時に身構え
た。
「うわッ?! ななな、なんだよ!」
呼びかけたのがさっきの亮だと言うことに気づくと、龍也は身構えるのをやめた。目の
前ではいつもと違う龍也の表情に驚いたのか、亮がしりもちをついていた。
「……悪い、ちょっと考え事してたんだ」
そう言いながら、龍也は亮に左手を差し出した。亮は差し出された龍也の左手を右手で
掴むと、ゆっくりと立ち上がった。
手を離し、尻をはたいている亮を見ながら龍也が口を開けた。
「それで、どうしたんだ?」
亮は尻をはたくのをやめ、龍也のほうに向きなおした。
「そうだった、龍也、貴志君が見つかったんだよ!」
龍也は目を見開いた。と同時に、心のどこかでほっと一息をついた。
ハットのつばに手を乗せ、龍也が聞き返した。
「どこにいたんだ?」
「最初はあんたの後を追っていたんだけど、村人の一人が川で流されている貴志君の靴を
見つけてね。それから山道と川を調べるチームに分かれて捜索していたんだ。それで、
上流に向かって歩いていると川辺で倒れている貴志君を発見したんだ」
亮はそこまで喋って、ようやく肩で息をしだした。よほど、急いで駆けつけてきたのだ
ろう。
龍也は向かって右手にある川のほうを横目で見た。
「貴志は、どこにいるんだ?」
下を向いて肩で息をしていた亮が、それで再び顔を上げた。
「貴志君は、他の村人たちが広場で火に当たらせている。恐らく川を流されてきたんだろ
う、触れた村人がかなり冷たいと言っていたからな。ああ、そうそう、意識ははっきり
してるから安心してくれ」
一息ついて、亮が続けた。
「龍也、一旦広場に戻って貴志に会ってやれ。可哀想にあの子は、一人で長い間川を流さ
れてたようだからな。寂しかったに違いない」
広場に向かって歩を進めようとしていた龍也の足が、それで止まった。
振り返り、龍也は亮のほうに向き直った。
「由佳里は……見つかってないのか?」
「俺たちが見つけたのは貴志君だけだった。今、他の村人たちが川沿いを上流に向けて由
佳里さんを捜索している。心配するな、きっと大丈夫だよ」
龍也はハットのつばを二、三回ほど下に引っ張ると、今来た道を戻りだした。亮はどう
やら、少し休んでから来るようだった。
走りながら龍也は、雨が弱くなっているのを知った。
さっきまであんなに鳴り響いていた雷鳴も、もう聞こえてはこなかった。
(貴志……)
心の中で呟きながら、龍也は走り続けた。うっそうと生い茂る木々の間の山道は舗装さ
れてはいないため、ところどころぬかるんでいて龍也は何度も足を取られそうになった。
すぐに、広場の時計塔が目に入ってきた。もう少しだ。
最後の坂を駆け上がり、広場の真ん中、焚き火の前に小さな背中はあった。龍也は走る
のをやめ、ゆっくりと後ろから近づいた。
恐らく村人から渡されたのだろう、貴志は毛布に包まって首から上だけを出す形で座っ
ている。近づく龍也に気づき、介抱をしていた女性が貴志に目で促した。
振り返った貴志の顔は、半分泣いている状態だった。
龍也はしゃがみ、何も言わず貴志を抱き寄せた。龍也の肩の前で、小さな貴志の頭が震
えている。
「おとうさーん……」
龍也が軽くその頭を撫でてやると、弱弱しい声が耳に入ってきた。だが、それは弱弱し
いながらも生きている、大丈夫。ということを確かにあらわしていた。
「無事で、よかった」
この時、龍也はなんと話しかけたらいいのか分からなかった。が、そんな悩みはいつの
間にやら、口から出てきたその言葉は、龍也の率直な思いそのものだった。
言わなければならないことがもう一つ、あった。
「貴志、お母さんはどうした?」
貴志を抱いたまま、龍也が聞いた。だが、貴志は口を開けようとはせず、ただ震えてい
た。
「……一緒じゃなかったのか?」
質問を変えてみる。しかし、それでも貴志は何も答えようとはしない。
その時、前方からこちらにむかって走ってくる一人の男が龍也の目に入った。男は龍也
の前で止まると、右手に持っていた携帯電話を取り出しながら言った。
「龍也さん、あんたに電話だ」
しばらく考えた後、捜索隊で何かあったのかもしれないと気づくと、龍也は男から電話
を受け取った。通話ボタンをすぐに押すと、繋がった。
『川沿いを上流に向かって探していたんだが、大変なものが見つかった。すぐに来てくれ!』
相手は大きな声で一気に言った。
「大変なもの? なんだそれは?」
『とにかく……大変なものだよ。一刻も早く、君に見てほしい。だから早く来てくれ!』
そこで通話は途切れた。携帯電話を男に返すと、龍也はスッと立ち上がった。介抱して
くれていた女性を見て、龍也は言った。
「貴志の事、もうしばらくお願いします」
女性はただ、頷いていた。
「おとう……さん……」
その場を離れようとした龍也の耳に、再び貴志の弱弱しい声が入る。前に進もうとした
足を半ば無理やり貴志のほうに向け、龍也はしゃがんだ。
貴志の目には、涙がたまっていた。
龍也は何も言わずに愛用のハットを手に取ると貴志の頭に被せ、ハット越しに貴志の頭
を撫でた。
「いい子にして、待ってるんだぞ。貴志」
それだけを告げ、龍也は走り出しそのまま広場を出て行った。振り返ることはしなかっ
た。もし振り返ると、二度と離れられなくなるのだから。
再び一瞬の閃光。それは、再びどこかに雷が落ちたのを意味していた。